「友人がいない」は問題にあらず!紀元前・古代中国・戦国時代の故事から学ぶ友情のリアル

古代中国の文人

友人がいない、友人が少ない・・・で悩む方が多いようです。過去の筆者もそうでした。友情というものを考える時、筆者が参考にするのは紀元前の古代中国・戦国時代の故事です。本当の友人というものは1人でもいれば素晴らしいということが良く分かります。

漫画「キングダム」で描かれた中国の戦国時代に登場した様々な人材、「食客」

紀元前5世紀~紀元前221年の中国は戦国時代で、7つの大国(戦国七雄)がせめぎ合う時代でした。漫画「キングダム」が描いている時代という方が分かりやすいかもしれません。

富国強兵をはかるためのさまざまな政策が必要とされ、また下克上の風潮の中で、身分が低い者や庶民であっても知識や才能を武器に各国の王や家臣に政策を提案する様々な人材が出現したのです。

彼らの提案内容やその思想は様々ですが、政治思想や理想論、そして実用的な技術論などが混在した内容が多く、法治、儒教、道教、孫氏の兵法など、今でも残る思想の多くはこの時代に生まれています。

各国の王や家臣はそういった才能のある人材を「食客 (しょっきゃく)」としてもてなし、その意見を取り入れました。今でいうと顧問の様なものですが、義侠心を持つ者が多く、場合によっては、主人のために命を差し出すこともありました。

多くの食客を抱えた「戦国四君」

多数の食客を抱えたことで有名な人物の中には、「〇〇君」と呼ばれる人々がいます。この称号を与えられた人は「君」は王の臣下ではあるものの、別格の存在で、多くの領土を与えられ、半独立的な地位でもありました。

特に有名なのは「戦国四君」と呼ばれる人々で、

  • 斉の国の孟嘗君(もうしょうくん、現代中国語:Mèngchángjūn)
  • 趙の国の平原君(へいげんくん)
  • 魏の国の信陵君(しんりょうくん)
  • 楚の国の春申君(しゅんしんくん)

の4人を指すことが多いです。この4人には実力も名声もあったため、彼らがいる間は天下統一を狙っていた秦も手出しができなかったといわれるほどです。

当然大人物なので食客の数もけた違いで、4人ともそれぞれとも3千人以上抱えていたと言われています。

斉の「孟嘗君」とその食客「馮驩」の故事

今回紹介する故事に登場する人物は「戦国四君」の中の斉の国の「孟嘗君(もうしょうくん)」とその食客であった「馮驩(ふうかん、現代中国語:Féng Huān)」です。せっかくですので「史記」の「孟嘗君列傳」の原文を見て行きましょう。

自齊王毀廢孟嘗君,諸客皆去。後召而復之,馮驩迎之。

(斉王が孟嘗君を宰相から罷免すると、食客達は皆去った。その後宰相に復活し、馮驩が食客達を迎えに行った。)

史記 孟嘗君列傳第十五

孟嘗君は宰相の地位にあったのですが、王様に自分の地位を脅かされるのではないかと疑われて宰相を罷免されてしまいます。その時3千人いたと言われていた食客は全て孟嘗君の元から立ち去ってしまい、馮驩だけが残ったのです。馮驩は一計を案じ、孟嘗君を宰相に戻すことに成功します。その後馮驩は孟嘗君と一緒に去ってしまった食客を迎えに行くわけです。

孟嘗君、去った人々を恨む

未到,孟嘗君太息歎曰:「文常好客,遇客無所敢失,食客三千有餘人,先生所知也。客見文一日廢,皆背文而去,莫顧文者。今賴先生得復其位,客亦有何面目復見文乎?如復見文者,必唾其面而大辱之。」

(食客達を迎えに行く途中、孟嘗君がため息をついて曰く:「私は食客を常に大事にして、粗相はなく、私の所の食客は三千人余りに上ったこと、先生もよくご存じだと思います。でも私が宰相を罷免されて1日と経たず、皆私に背を向けて去ってしまい、私を顧みるものは誰もいませんでした。今先生のおかげで宰相の座に戻れましたが、食客は何の面目が有って私に会えましょうか?戻って私に会う物には、必ずやその面に唾を吐き辱めたいと思います。」)

史記 孟嘗君列傳第十五

孟嘗君(もうしょうくん)は自分が宰相をクビになった時に逃げてしまった食客のことを憎んでいるのは分かるかと思います。自分が苦しいときには逃げてどの面を下げて戻ってくるんだ!当然の感情だと思います。

馮驩、全力で諫める

馮驩結轡下拜。

(馮驩は馬車を止めてひれ伏した。)

孟嘗君下車接之,曰:「先生為客謝乎?」

(孟嘗君が馬車から下り馮驩を起こして、曰く:「先生は食客達のために謝っているのですか?」)

馮驩曰:「非為客謝也,為君之言失。夫物有必至,事有固然,君知之乎?」

(馮驩曰く:「食客達の為に謝っているのではありません、君の失言の為です。そもそも物には必ずそうなること、事には当然で仕方がないことがあります、君はご存じですか?」)

孟嘗君曰:「愚不知所謂也。」

(孟嘗君曰く:「愚かゆえ、存じません。」)

史記 孟嘗君列傳第十五

ところが馮驩(ふうかん)は馬車を止めてひれ伏しました。しかも去った食客の代わりに詫びたと思ったら、そうではなく孟嘗君への諫言のためだというのです。

人の付き合いは、用事があって市場に行くのと同じ

馮驩曰:「生者必有死,物之必至也;富貴多士,貧賤寡友,事之固然也。君獨不見夫朝趣市者乎?明旦,側肩爭門而入;日暮之後,過市者掉臂而不顧。非好朝而惡暮,所期物忘其中。今君失位,賓客皆去,不足以怨士而徒絕賓客之路。願君遇客如故。」

(馮驩曰く:「生きているには必ず死がある、これは物の道理です。富貴になれば士が増え、貧賎になれば友が少なくなる、これは事の道理です。そもそも君は朝市に趣く者を見たことはないですか?朝日が出ると、肩を押しあって押しかけます。でも日が暮れると市を過ぎるものは見向きもしません。朝が好きで、夜が嫌いだからではなく、そこに欲しい物がないからです。君が地位を失うと賓客が皆去るのも同じことで、食客を恨んで客をもてなす路を踏み外すほどのことではありません。君には過去と同じく食客を遇していただきたい。」)

孟嘗君再拜曰:「敬從命矣。聞先生之言,敢不奉教焉。」

(孟嘗君曰く:「仰せの通りにしましょう。先生のお言葉を聞き、その教えに逆らうことは致しません。」)

史記 孟嘗君列傳第十五

成功して、お金持ちになったり、地位が高くなったりすると、付き従う人も増える。逆に失敗して、貧乏になったり、地位を失ったりすると、皆去っていく。これは当たり前のことだと、馮驩(ふうかん)は市場に例えて説明します。

市場は開かれているときは人がたくさん来ますが、夜、市場が閉まっているときは誰は来ません。それは朝が好きで、夜が嫌いだからといった、好き嫌いの問題ではなく、必要があるかないかの問題です。

食客が去ったり戻ってきたりするのも同じです。孟嘗君(もうしょうくん)が宰相の地位にあるから、食客は自分の助言や献策が用いられるかもしれないと思って、孟嘗君の下にいるのです。孟嘗君が宰相をクビになった時は助言や献策をしても用いられる可能性がないと考えて孟嘗君の下を去ったのです。

ある人は自分の助言や献策が活用されない状況に対して不満だったかもしれません。ある人は自分の主人が落ちぶれた以上、自分の待遇も良くならないだろうと思ったのかもしれません。ある人自分の主人が今後金銭的に余裕がなくなるかもしれないのに、自分を養わせるのが申し訳なく思ったのかもしれません。少なくとも孟嘗君が憎いとか嫌いとかそういう話ではないのです。

本当の友人が一人でもいれば実はすごいこと

しかし孟嘗君が嫌いとかそういう話ではないとしても、孟嘗君(もうしょうくん)のような大人物が面倒を見ていた3,000人の食客の中で、ピンチの時にも側にいたのは馮驩(ふうかん)1名のみでした。そう考えると私たちの人間関係で本当の友人が1人もいなくても何の不思議もないと思います。

なぜ馮驩は孟嘗君の下に残ったのか?

ところで馮驩(ふうかん)は、なぜ孟嘗君(もうしょうくん)の「下げ潮」の時にも食客として残ったのでしょうか?孟嘗君のピンチの前まで、この馮驩という人物は碌なことをしていません。

  • 孟嘗君は「一芸に秀でたものを迎える」と日頃から公言しているのに、馮驩は「特技は特にない」と言い放ち、それでも無理やり食客となる。
  • 「食事に魚がつかない」「外出時に馬車がない」「家がない」などと歌って、あれこれ待遇改善をゴリ押しするが、叶えてやっても全く感謝しない。
  • 孟嘗君の領地の領民から借金を取り立てる役を任されるが、馮驩は勝手に借金を帳消しにし、「領民の忠誠心と名望を買った」とぬけぬけと釈明(馮驩の言うとおり、借金帳消しの話題が広まり孟嘗君の名望も高まったのですが)。

孟嘗君の他の故事を見ると孟嘗君自身が有能な人物だったかどうかは微妙な感じですが、貴族(王族)出身だけあって、その寛容さや大らかさは確かなようです。ここまで厚かましくても、多分苦笑いしながら受け入れた孟嘗君の寛容さや大らかさに馮驩は感じ入るところがあったのではないかと筆者は想像します。

「上げ潮」の時は友人が増え、「下げ潮」の時は減る

宰相には程遠いですが、筆者の様な庶民でも、以下の様な(ほとんど黒?)歴史があり、浮き沈みがあります。

大学時代:全くモテず、全く青春時代を謳歌できず。
就職活動:奇跡的に大企業から内定。
国内部門:国際部門など華やかな部門と比べてため息をつく毎日。
国際部門:奇跡的に国際部門へ異動。
台湾赴任:サラリーマン時代の頂点。
現地採用:駐在員と比べると待遇はダウン。
結婚生活:結婚生活はストレスの連続、良いこと無し。結局離婚。
会社創業:起業するも売上がなく、日本語教師など副業で補う。
会社安定:会社は小さいながらも売上も少しずつ増え、事務所も大きくし、従業員も数名雇ったりする。
コロナ禍:事務所も狭くし、従業員も整理せざるを得なくなる。
再建途上:今ココ。相変わらず貧乏会社だが、新しい方向が見え、気分は明るい。

筆者の経験上、仕事や事業が「上げ潮」の時は知り合いや付き合いが増え、「下げ潮」の時は減ります。面白いのは絶対的な地位とか財産よりも、今の流れが「上げ潮」か「下げ潮」かで変わってくるということです。

「上げ潮」の時に友人が増え、「下げ潮」の時に減る理由

なぜ「上げ潮」の時は友人や知り合いが増えるのでしょう?筆者が考える理由としては「上げ潮」の中にいる自分の気分の問題が大きいと思います。「上げ潮」の人と話しているときはやはり自然と楽しくなるものです。

逆に「下げ潮」の人と一緒にいてもあまり楽しめないかもしれません。友人や知り合いとして誰と一緒にいたいかと言えば、より楽しい人になるのは当然のことと言えます。

これは先ほどの馮驩(ふうかん)が例として出した市場の話に似ています。友人や知り合いと一緒にいる以上、楽しく過ごしたいから、「上げ潮」状態の人が選ばれやすいだけなのです。別に「下げ潮」の人が嫌いとかそういう話ではないのです。

「下げ潮」の時は、「上げ潮」に戻すことを考える

特に起業してから筆者が意識しているのは、「下げ潮」をいかに早めに「上げ潮」に戻すかです。「下げ潮」の時はまず己を信じ、できる限り仕事に集中したり、情報収集したりして、事業が「上げ潮」になるためのきっかけを掴む様にしています。

正直、「下げ潮」の時に不安や孤独を全く感じないわけではありませんが、そんな時に友人や知り合いと会って愚痴を言うなどの行動はどちらかと言えば避けています。

サラリーマン時代は愚痴を言ってスッキリすることはできましたが、問題は解決しませんでした。自分で事業をしている場合は、問題をそのままにはできませんし、愚痴を言う前に解決するしかありません。しかも結論は実は自分が良く分かっていることが多いのです。先述の「己を信じ」というのはそういうことです。

友達と話して問題解決の糸口をつかむ人も多いかもしれませんが、その多くは実は自分で結論が分かっていて他人に背中を押してもらっている事例ではないかと思います。私自身は何か決断を下すときは自分一人の責任で行いたいと考えており、他人に背中を押されることも余り好まないので、結果として「下げ潮」の時は一人でいることが多いのです。

なお心の健康は重要な問題です。解決方法は人により異なります、無理は禁物です。行きつけの店やバーに行って店員と話すのも良いですし、必要に応じて専門家に相談するのも良いでしょう。不安や孤独に関する相談窓口はネットで検索すると色々出てきます。

「下げ潮」の時は「馮驩」を知るチャンス

時代背景が違うので、現在の「馮驩(ふうかん)」に昔の任侠心を求めるのも違うと思いますが、少なくとも「下げ潮」の時にも変わらずに接してくれる友人はとても貴重です。それは「付き合うことのメリット」ではなく、自分を認めているからこそ付き合ってくれる友人だからと思うからです。

「下げ潮」の時にも「こいつはここで終わらない」、「こいつはきっと何とかするだろう」、「こいつは今後面白いことをやってくれそうだ」と見込んでくれている人がいれば、その期待を裏切らないよう、その人の判断が正しいことを証明するためにも頑張りたいとも思うのです。

「上げ潮」の時こそ「馮驩」を忘れずに

「上げ潮」の時は「馮驩(ふうかん)」を忘れないことも大事だと思います。私の様な小者は、事業が上手く行っているとついつい調子に乗って全て自分の力で成し遂げたような気がするのですが、それは大間違いで、成功の裏には色々な人の助けがあったはずなのです。

このことを忘れて謙虚さを失うと、自分のことを買ってくれていた人々を失望させて失うかもしれません。実は「馮驩」を失っている理由は「上げ潮」の時の自分の傲慢さにあるかもしれないのです。

「貴人」と「伯樂」、目上の人が「馮驩」になることも

自分にとっての「馮驩(ふうかん)」は同世代や対等の友人とは限りません。上司や先輩など、自分より能力がある人も自分にとっては「馮驩」になり得ます。

中国語では自分のより目上の人で、自分の人生においてチャンスを与えてくれる人、自分を引き上げてくれる人を「貴人」と呼びます。特に自分の潜在能力を買ってくれて、それを引き出してくれる人は「伯樂(伯楽)」と言います。この「伯楽」は日本語でも同じ意味ですね。最近の言葉で言うと「メンター」も貴人や伯楽の中に含まれるかもしれません。

筆者個人の経験だと、貴人や伯楽は後で気づくことも多いです。親身に教えてくれた先輩や上司はもちろんそうなのですが、実は嫌な先輩や上司も自分のことを認めてくれていたのではないかと、かなり後になってから気づくこともあります。

そもそも真の友とは何か

さらに筆者個人の経験から考えると、そもそも「友人がいない」、「友人が少ない」と悩んでいるとき、自分自身の「友人」の定義は非常に曖昧で、悪く言えば薄っぺらいものでした。後でよくよく考えてみると当時の「友人」の定義の一つに頻繁に会うことが入っていたと思います。頻繁に会う人が少ないから孤独や寂しさを感じるわけです。

でも頻繁に会っている人も友人ですが、だからといって会う回数が友人の条件というわけではありません。1年に1回しか会わない人、10年も会っていなくてFacebookでお互いの動静を知っているだけの人でも、心の上では親近感を感じる場合もあるわけです。

年齢が離れているから、頻繁に会っていないから、そういう固定観念を持つことも実は人付き合いが面倒に感じる理由だと思います。自分の固定観念を取り払い、周囲に過度な期待をせず、自分の足でしっかり立てば、自然に「友人がいない」、「友人が少ない」という問題は前向きに解決できるのではないかと思います。

参考文献 (クリックすると一覧を表示)
  • 戦国時代 (中国) – Wikipedia (https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%88%A6%E5%9B%BD%E6%99%82%E4%BB%A3_(%E4%B8%AD%E5%9B%BD)&oldid=79474519、2020年10月13日閲覧)
  • 食客 – Wikipedia (https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%A3%9F%E5%AE%A2&oldid=79368065、2020年10月13日閲覧)
  • 諸子百家 – Wikipedia (https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%AB%B8%E5%AD%90%E7%99%BE%E5%AE%B6&oldid=78049208、2020年10月13日閲覧)
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  • 史記 巻七十五 孟嘗君列傳 第十五 – Wikisource (https://ja.wikisource.org/w/index.php?title=%E5%8F%B2%E8%A8%98/%E5%8D%B7075&oldid=109745、2020年10月13日閲覧)

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