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台北圓環・小巷亭日本料理
台北・元圓環夜市(昔はすごい賑わいだったのですが、再開発後寂れてしまいました)の近くを歩いていると多くの人が集まっている屋台を見つけました。 なんと日本料理の店でした。日本統治時代終了後も台湾人職人によって日本料理の技術は受け継がれ、味は台湾人の好みに合わせた台湾式日本料理になっているものの、海産物が豊富なこともあって、美味しい料理をお得な値段で頂くことができます。 屋台のように見えましたが、実際 […] -
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臺灣銀行總行(台湾銀行本店)
日本統治時代の昭和13年(1938年)に完成した台湾銀行本店、法的な位置づけは変わり台湾国営になっていますが、現在も台湾銀行本店として使い続けられています。昔の銀行の雰囲気を良く残しており、木村拓也主演で2007年に放映されたテレビドラマ「華麗なる一族」で、「阪神銀行本店ロビー」として内部が撮影に使われたこともあります。 昭和に入ると建物自体の装飾はシンプルになってきますが、柱などに古典主義的な要 […] -
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帝國生命會社舊廈(旧帝国生命ビル)
現在は台灣銀行の部門が入居している「帝國生命會社舊廈(旧帝国生命ビル)」。帝国生命は現在の朝日生命保険の前身の一つです。元々日本統治時代の1910年代に建てられ、当時は尖塔があったそうですが、白蟻による劣化が激しく、1930年代に改築され、今の姿になりました。一時は台湾政府外交部(外務省相当)が入居していたこともあったそうです。 塔の部分の装飾など、簡潔かつ美しいデザインで、1930年代のビジネス […] -
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基隆・李鵠餅店・鳳梨酥(パイナップルケーキ)
基隆で一番有名な鳳梨酥(パイナップルケーキ)と言えば「李鵠餅店」。李鵠餅店の創業は清朝時代、西暦1882年まで遡ります。100年を超える老舗です。 台北市内にも支店があり日本人観光客も多く来る「李製餅家(李家大房)」は「李鵠餅店」の分家筋(兄弟による経営)に当たります。ちなみに双方とも関係を言わないところを見ると双方の仲は良くないと思います。 鳳梨酥は基隆以外にも台中などでも名産となっており、色々 […] -
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台北西門町・成都楊桃冰
台北西門町の「成都路」の交差点にあるのが「成都楊桃冰」という老舗です。「楊桃」とは日本では「スターフルーツ」(Wikipedia関連記事)と呼ばれますが、ちょっと馴染みが無い果物だと思います。水気が多く、酸味はありますが、正直味は薄く、そのまま食べるよりは砂糖漬けにしたり、ジュースにしたりしていただくことが多いです。 成都楊桃冰では「楊桃(スターフルーツ)」以外にも「鳳梨(パイナップル)」や「李梅 […] -
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金山・員潭溪戲水區(親水公園)
金山旧海水浴場辺りに流れ込む員潭溪の河口辺りが戲水區(親水公園)として整備されています。 海あり、山あり、川あり、でとてもきれいな所です。 芝生が植えられており、歩いていても気分が良く思わず寝転びたくなります。 大きな地図で表示 -
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台北→金山・基金公路・バスの車窓から
大きな地図で表示 台北から金山に行く際は通常高速バスに乗るのですが、途中から「基金公路」という海沿いの道を走ります。ここが非常に美しく目を楽しませてくれます。 余りにもきれいなのでバスから何枚か写真を撮って見ました。 この日は快晴だったので、海も空も青いですね。気分まで晴れやかになります。 雲が出て翳った時に撮った写真です。ちょっと不思議な感じが好きです。 大きな地図で表示 ちなみに2010年5月 […] -
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金山「金包里鴨肉ㄜˋ」
金山は「鴨肉」で有名です。中国語だと野生の鴨とアヒルの両方とも「鴨」で、実際はアヒル肉のことを指します。金山では「金包里鴨肉ㄜˋ」が良く知られ沢山の人が集まってきます。 「ㄜˋ」は台湾の中国語で使われる発音記号で「オ」と読みます。創業者の李光雄の名前が日本語だと「ミツオ」と読み、最後の「オ」だけとって「阿ㄜˋ(アーオ)」というあだ名が付いていたそうです。その「阿ㄜˋ(アーオ)」が「鴨肉」を売ったの […] -
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金山・金包里老街(昔からの商店街)
こちらは金包里老街にある「慈護宮」です。金包里老街(昔からの商店街)の入り口にあり、航海・漁業の守護神である「媽祖」が祭られています。 金山・金包里老街は清朝雍正帝の時代からあり、写真のような日本統治時代に立てられた古い建物が多く使われています。 週末になると多くの人でにぎわいますが、たまたま撮影した日は慈護宮関係で何かイベントがあったせいか夜になって各地から媽祖像を奉じた行列が続々と老街を通り、 […] -
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金山・舊金山總督温泉
※写真のリンクが切れてしまったので、更新記事として「金山・舊金山總督温泉(2012年6月2日)」も参考にしていただけば幸いです。 舊金山總督温泉は日本統治時代の1939年に建てられた総督府の招待所「新館温泉」が前身になっています。当時は金山はすごく不便な場所で、台北からは山道を徒歩で歩くか、基隆経由で船で来るかというところだったのにも関わらず総督が何度も来たことから「総督温泉」とも呼ばれていたそう […] -
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金山・光武坑道
日本統治時代から開削された軍事用の行動です。国民党政権時代も使われていましたが、現在は主坑道360メートルほどが開放され普通に見ることができます。 > 入り口も特にふさがれていませんが、照明も無いため、自分で懐中電灯等の照明を用意する必要があります。またヘルメットもあったほうが良いと思います。 こちらはもう一つの入り口です。小さい入り口なので、ここから入るのは難しいかもしれません。坑道の中は […] -
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金山・舊金山海水浴場
こういうきれいな海が台北から高速バスで1時間半ほどの金山というところで見ることができます。写真の場所は「舊金山海水浴場」と呼ばれ、日本統治時代から海水浴場があった場所だそうです。ちなみに現在は北西に「新金山海水浴場」があり、ここは使われていません。 金山は海水浴場、温泉、歴史ある商店街(老街)、グルメと色々揃っており、台湾人にも人気の観光スポットなのですが、この辺はとても静かでのんびりした雰囲気で […]