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夜市グルメお持ち帰り
とある日の夕食を紹介します。台北のとある夜市で料理を頼んで持ち帰り家で食べました。 紅燒豆腐(Hóngshāo dòufu、ホンシャオ ドウフ、豆腐の醤油あんかけ炒め)・30台湾元です。おいしくて安い!この店は豆腐を鉄板でこんがり焼いて焦げめをつけてから強火で炒めるので豆腐が香ばしく、あんにもニンニクが効いており、とてもおいしいです。でも隠れた人気メニューで「今日は豆腐がなくなっちゃった」といわれ […] -
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西門紅樓(紅樓劇場)
台北の代表的な繁華街、西門町の徒步區(歩行者天国)の近くにある赤レンガの洋館「西門紅樓」。日本統治時代、1908年(明治41年)に完成しました。 写真の建物は日本統治時代は公設市場「西門市場」の入り口で、上から見ると八角形という特徴からは「八角堂」と呼ばれていました。後ろには上から見るとこれもまた特徴的な十字型の建物が繋がっていました。 第二次世界大戦後は「紅樓劇場」となり劇場や映画館として使われ […] -
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林東芳牛肉麺
「あっさり系の牛肉麺」を食べたいと思ったときはここに良く来ています。良く煮込まれた牛肉とコシのある麺、八角の香りが強すぎず割とあっさりしたスープと、日本人に受け入れられやすい味だと思います。 ※おいしそうに見えないのは写真の撮り方の問題です。すいません。 あと営業時間が11:00~翌6:30(定休日:日曜日)と遅くまでやっているのもポイント高いです。例えば日本から友人が3~4日の予定で台湾に遊びに […] -
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中正紀念堂燈會(ランタンフェスティバル)の名残
旧暦の1月15日(2010年は2月28日)は「元宵節」と呼ばれます。日本では「小正月」と呼び、元々は旧正月後の最初の満月の日として、元服式などが行われ、これが新暦1月15日(2000年から1月第2月曜日)の「成人の日」となりました。 台湾ではあちこちで花燈(ランタン)が飾られる「燈會(ランタンフェスティバル)」が観光局や各地方自治体主催で行われます。中正紀念堂でこれらの写真を撮った際には既に終わっ […] -
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悠遊卡小額決済開始&icash悠遊卡
2010年4月1日から台湾の非接触型ICカード乗車券「悠遊卡(Easy Card、悠遊カード)」でコンビニやドラッグストアなどでの小額決済ができる様になりました(上限:1,000台湾元/回・3,000台湾元/日)。非接触型ICカードについては香港の「八達通(Octopus)」が以前より小額決済も含めて先行しており、便利で羨ましかったのですが、これでかなり追いついた感じです。 ※日本だと「Suica […] -
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いらっしゃいませ「ん」!歡迎光臨
いらっしゃいませ「ん」!歡迎光臨(いらっしゃいませ)って「どっちだよ!」と突っ込みたくなる看板。 もう有名になりすぎて「このままの方が宣伝になる」と修正せずにそのままになっていました。まだあるのでしょうか?2007年9月・士林夜市にて撮影。 -
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台湾の統一發票(統一発票)の種類
※※※※※ 本記事は「台湾で起業」運営会社変更以前に「平凡人@台湾」が書いた記事です。情報が古く、至らない部分も目に付きますが、当面はこのまま公開を続けさせていただきます。台湾起業・進出の最新情報については新しい記事をご確認頂けると幸いです。(平凡人@台湾) ※※※※※ 台湾の統一發票には色々な種類がありますが、基本かつ、創業時に良く使うのは手書きの「三聯式(三連式)」か「二聯式(二連式)」の統一 […] -
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月世界(高雄縣田寮鄉)
高雄から國道3號(台湾では「國道」=高速道路)を北上し、中寮隧道(中寮トンネル)を通過したときに見える、険しい岩だらけの山肌。「月世界」と呼ばれるところです。高雄から台南にかけて山中で見られる光景で、昔は本当に草木一つ無い、荒涼とした地形だったそうです。岩がもろく、砂で足を取られやすいため「惡地形(悪地形)」とも呼ばれます。 この珍しい地形は「青灰岩地形」と呼ばれ、元々海底にあった砂や泥が造山活動 […] -
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在りし日の台北後車站(台北後站)
前回の記事で台北駅裏手にある「後車站紀念廣場」についてご紹介しましたが、火事で消失する前の、在りし日の後車站の写真を林志明様よりお借りすることができましたので、ここで紹介します。 まずは台北後車站(台北後站)です。今の市民大道と太原路の交差点辺りにありました。雙連、圓山、士林、天母、北投、淡水など、台北北部に向かう人々が多く行きかう場所でした。今は高架道路があるせいで、ちょっと薄暗いですが、昔はこ […] -
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後車站紀念廣場(舊台北後站)
台北車站(台北駅)の北側は「後車站」と呼ばれます。駅の裏という意味ですが、そこに「後車站紀念廣場」と呼ばれる場所があります。 ここには昔の淡水線(台鐵淡水線)で使われていたディーゼル列車が置かれています。昔の淡水線は今の捷運(MRT)淡水線とほぼ同じ路線ですが、単線で全て地上を走るのどかな近郊路線だったのです。 かつての淡水線は日本統治時代に完成し、後車站紀念廣場の近く、今の太原路と市民大道の交差 […] -
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よく使う台湾語:落翅仔(落翼仔、家出少女、売春婦)
落翅仔(落翼仔、làu-si̍t-á・ラォ・シ・ラー)の「落翅」とは飛んでいる鳥が怪我をして飛べなくなることを指します。ここから意味が転じ、「落翅仔」は家や学校を出て、売春で生計を立てている少女を指します。単純に売春婦を指すことをあります。 色々な理由で仕方なく売春で生計を立てている少女を指すなど、「落ちた天使」みたいなニュアンスが出てくる場合もありますが、少なくとも良い意味では使いませんので、使 […] -
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台北龍山郵局(舊臺北八甲町郵便局)
台北・西門町の繁華街から龍山寺に向かう途中辺りにある小さな郵便局。日本統治時代は八甲町(はっこうちょう)郵便局でした。開設されたのは1913年(大正2年)、1915年(大正4年)に移転、1922年(大正11年)に八甲「街」から八甲「町」郵便局に改名ということなので、この建物自体は大正時代の建築なのは間違いないと思います。 特に古跡指定なども無い様なのですが、アーケード部分(建物入り口両側の柱の上が […]