台北車站(台北駅)の北側は「後車站」と呼ばれます。駅の裏という意味ですが、そこに「後車站紀念廣場」と呼ばれる場所があります。
ここには昔の淡水線(台鐵淡水線)で使われていたディーゼル列車が置かれています。昔の淡水線は今の捷運(MRT)淡水線とほぼ同じ路線ですが、単線で全て地上を走るのどかな近郊路線だったのです。
かつての淡水線は日本統治時代に完成し、後車站紀念廣場の近く、今の太原路と市民大道の交差点にあった「台北後站」(日本統治時代は「裏臺北驛」から発車していました。
台北後站は日本統治時代の1939年(昭和14年)に建設されましたが、捷運(MRT)淡水線への切替のため、旧淡水線が1988年に廃止された後、1989年に火事で失われてしまいました。
今の交差点は高架道路の下で人通りも少ないのでとても信じられないかもしれませんが、昔はここに台北後站があって雙連、圓山、士林、天母、北投、淡水など、台北北部に向かう人々が多く行きかう場所だったのです。
当時の賑わいには及ばないかもしれませんが、一帯は今でも「後車站商圈」として各種手工芸品、衣料品、化粧品、装飾品、内装材料、食品など、様々な種類の問屋が集まっています。ブラブラするには悪くないところです。