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鍋貼(棒餃子・鉄鍋餃子)
鍋貼(グオティエ)と呼ばれる、焼き餃子です。写真は高雄で取りましたが、台湾であればあちこちで見かけることが出来ます。最近は日本でも専門店などで「棒餃子」「鉄鍋餃子」などと命名して出すところが増えてきました。たれが甘め、肉餡にニンニクを入れない、皮が厚目など、食感や味は日本の(焼き)餃子とはかなり異なりますが、これはこれでとても美味しいです。 -
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台湾の秋葵(オクラ)
新竹のとある食堂で昼食を取ったときに頼んだ「小菜(小皿料理)」です。台湾でもオクラを食べるというと意外な顔をされる場合が多いのですが、台湾でもオクラは台湾語で羊角豆(iûⁿ-kak-tāu)、北京語で秋葵(Qiū kuí)と呼ばれ、日本と同じように軽く茹でて食べます。 -
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永康15(旧「冰館」)のマンゴーかき氷
先月の話になりますが、台北・永康街の「永康15」(旧「冰館」)のマンゴーかき氷を食べてきました。 以前の「冰館」が夫婦間の諍いが原因で閉店してしまい、「冰館」オーナーの友人が引き継いでオープンしたのが「永康15」です。 別の場所にセントラルキッチンを設けてフルーツのカットなどを行うなど、企業化、他店舗かに向けた取り組みも行われるようですが、「冰館」の時に比べると各商品がかなり値上がりしています。 […] -
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金門・許金鐘洋樓
一見するとボロボロの洋館ですが、門の上を見ると・・・ 精巧に彫られた天使があり、また2階の欄干など昔はかなり凝って作られた立派な洋館だったことが分かります。ちなみに天使以外にも鷲などもあるのですが、(両方とも翼があるだけに)商売がとんとん拍子に上手く行くようにという意味を込めているそうです。 実は奥行きもあり、かなり大きな建物であることも分かります。この建物は1933年に中国大陸からの物資の輸入販 […] -
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台北永康街・芋頭大王の芋頭牛奶冰(タロイモ煉乳のかき氷)
旧「氷館」の隣にあり、以前から台湾人で賑わっていた台北永康街の老舗「芋頭大王 刨冰之家」。伝統の芋頭牛奶冰(タロイモ煉乳のかき氷)が美味しい!タロイモは良く煮込まれ、堅すぎず、柔らかすぎず、程よい口当たりで煉乳とよく合います。 最近は旧「氷館」が閉店した関係でお客さんを取り込むためにマンゴーやフルーツ系のかき氷にも力を入れているようですが、この店では是非「芋頭牛奶冰」も試してみてください。 大きな […] -
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マンゴーかき氷で有名な「冰館」(永康街)が再開?
マンゴーかき氷で有名な「冰館」(永康街)が「永康15」と名前を変えて営業を再開したようです。経営者は「冰館」オーナーの友人のようで、元「冰館」オーナーも顧問として関わるようです。 別の場所にセントラルキッチンを設けてフルーツのカットなどを行うなど、企業化、他店舗かに向けた取り組みも行われるようですが、「冰館」の時に比べると各商品がかなり値上がりしているようです。 「冰館」時代の人気を取り戻せるかど […] -
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金門・民家(金城鎮・集成餐廳附近)
集成餐廳の近くにて。「七芒星」「ヘプタグラム」とも呼ばれる図形に近いです。東洋の伝統建築にこういうものを見ると本当不思議な感じです。他にも色々と東南アジアとか西洋っぽい面白いアイテムが取り入れられた建築物が多く見られるのは本当に金門らしいですね。 -
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金門・浯江書院
書院とは昔の教育機関で、学識のある人が集まるサロン的な場所でもありました。 金門は学問熱心な地域だったようで、宋朝の時代、1156年に中国宋代の儒学者で朱子学の創始者でもある朱熹(朱子)が燕南書院を開いたのをきっかけに、四大書院(燕南、金山、浯州、浯江)が設立されました。 その結果、明や清朝の時代には科挙を受験し、朝廷の高官になる人が多く出て、「海濱鄒魯」と呼ばれるようになりました。「海濱(海浜) […] -
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金門・乾麺と魚丸湯(北鎮廟近くにて)
金門に来て最初の食事です。北鎮廟を過ぎ、金城車站(バス停)の近くに来た辺りで空腹に耐え切れず、お客さんが多いお店に・・・意外に台湾ではこれが正解なのです!ガイドブックなどでも特に紹介されていなかった店だったのですが、美味しかったです。 上の写真は乾麺、茹でた麺を湯切りし、上に醤油で甘辛く煮た豚の脂身の細切れを入れたもの。台湾料理の知識がある方は「滷肉飯(魯肉飯、ルゥロゥファン)」のご飯を麺に変えた […] -
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金門・北鎮廟
北鎮廟は既に立て直されており外観が新しいのですが、実は300年以上の歴史を持つ廟です。北鎮廟は昔は木造建築だったのですが、風化や虫食いが激しく、1980年に一旦修復されたのですが劣化が止まらず、2002年にコンクリートを使って再建したそうです。 北鎮廟では、武に優れた「玄天上帝」という神様を祀っています。その昔、北京からまだ作りかけの神像を持って金門に逃げてきた旅人が疲れで金門で休みながら神像を完 […] -
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金門・集成餐廳
以前、中国国民党軍が内戦で共産党に敗れ金門に来た時、小さな金門に急に多くの中国大陸出身者が滞在するようになり、食に関する需要が急激に増えました。彼らは中国のあちこちから来ており、それぞれ食習慣が違っていたことで、金門の食文化にも大きな影響を与えました。 次第に中国各地のコックが各地の料理を教え、更に金門の新鮮な食材が加わり、次第に中国各地の料理が金門の料理として主に金門に駐留する中国大陸出身の兵士 […] -
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金門・許允選洋樓
1915年頃に建てられた洋館「許允選洋樓」。建材売買で財を成した許允選により建てられ、建材は対岸のアモイより運んで来たものを使いました。 元々3階建ての計画だったのですが、後ろに許家の祖先を祭る祠堂があり、それの高さを超える事をはばかったため、それを避けるために色々な工夫を凝らしました。 まず、中庭を囲んで後ろに母屋、前に2つの小部屋(一落二攑頭)という伝統住宅の構成を採り、前面の2つの小部屋の上 […]