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台北→金山・基金公路・バスの車窓から
大きな地図で表示 台北から金山に行く際は通常高速バスに乗るのですが、途中から「基金公路」という海沿いの道を走ります。ここが非常に美しく目を楽しませてくれます。 余りにもきれいなのでバスから何枚か写真を撮って見ました。 この日は快晴だったので、海も空も青いですね。気分まで晴れやかになります。 雲が出て翳った時に撮った写真です。ちょっと不思議な感じが好きです。 大きな地図で表示 ちなみに2010年5月 […] -
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金山「金包里鴨肉ㄜˋ」
金山は「鴨肉」で有名です。中国語だと野生の鴨とアヒルの両方とも「鴨」で、実際はアヒル肉のことを指します。金山では「金包里鴨肉ㄜˋ」が良く知られ沢山の人が集まってきます。 「ㄜˋ」は台湾の中国語で使われる発音記号で「オ」と読みます。創業者の李光雄の名前が日本語だと「ミツオ」と読み、最後の「オ」だけとって「阿ㄜˋ(アーオ)」というあだ名が付いていたそうです。その「阿ㄜˋ(アーオ)」が「鴨肉」を売ったの […] -
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金山・金包里老街(昔からの商店街)
こちらは金包里老街にある「慈護宮」です。金包里老街(昔からの商店街)の入り口にあり、航海・漁業の守護神である「媽祖」が祭られています。 金山・金包里老街は清朝雍正帝の時代からあり、写真のような日本統治時代に立てられた古い建物が多く使われています。 週末になると多くの人でにぎわいますが、たまたま撮影した日は慈護宮関係で何かイベントがあったせいか夜になって各地から媽祖像を奉じた行列が続々と老街を通り、 […] -
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金山・舊金山總督温泉
※写真のリンクが切れてしまったので、更新記事として「金山・舊金山總督温泉(2012年6月2日)」も参考にしていただけば幸いです。 舊金山總督温泉は日本統治時代の1939年に建てられた総督府の招待所「新館温泉」が前身になっています。当時は金山はすごく不便な場所で、台北からは山道を徒歩で歩くか、基隆経由で船で来るかというところだったのにも関わらず総督が何度も来たことから「総督温泉」とも呼ばれていたそう […] -
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金山・光武坑道
日本統治時代から開削された軍事用の行動です。国民党政権時代も使われていましたが、現在は主坑道360メートルほどが開放され普通に見ることができます。 > 入り口も特にふさがれていませんが、照明も無いため、自分で懐中電灯等の照明を用意する必要があります。またヘルメットもあったほうが良いと思います。 こちらはもう一つの入り口です。小さい入り口なので、ここから入るのは難しいかもしれません。坑道の中は […] -
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金山・舊金山海水浴場
こういうきれいな海が台北から高速バスで1時間半ほどの金山というところで見ることができます。写真の場所は「舊金山海水浴場」と呼ばれ、日本統治時代から海水浴場があった場所だそうです。ちなみに現在は北西に「新金山海水浴場」があり、ここは使われていません。 金山は海水浴場、温泉、歴史ある商店街(老街)、グルメと色々揃っており、台湾人にも人気の観光スポットなのですが、この辺はとても静かでのんびりした雰囲気で […] -
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花蓮・崇徳車站(駅)から清水断崖(斷崖)を見る
駅のすぐそばに岩山が聳え立ち、雲も重なって、とても美しい光景です。ここは台湾東部・花蓮にある崇徳車站(崇徳駅)です。今回は観光列車で来たので、特別にホームから降りて写真を撮らせてもらいました。 この崇徳車站は附近に「清水断崖(清水斷崖)」が見渡せる絶好の鑑賞ポイントがあることで知られており、台鐵(台湾国鉄)も観光列車のコースに入れてくれたのです。清水断崖は21kmほど続く海岸線で、垂直に近い角度で […] -
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台北永康街・永康階(カフェ)
日本人観光客も多い永康街の奥の方にあるカフェ「永康階」。北京語では永康街も永康「階」も「ヨン・カン・ジエ(Yǒngkāng jiē)」と同音というなかなか洒落た店名を持つカフェです。 元々は大学生が多く、私も台湾の若い人に教えてもらったのですが、先日行ったら前後左右全部日本人観光客でビックリしました。でも小さな中庭もあって気分が良いし、コーヒーもケーキも美味しいので今のところ私のお勧めであることに […] -
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よく使う台湾語:妖受(夭壽、すごく、非常に)
上の写真でスイカ売りの車にぶら下がっている「妖受甜(台湾語:iáu-siū-tiⁿ・ヤウ-シュウ-ディン)」の札が見えるでしょうか?すごく甘いと言う意味です。「妖受(台湾語:iáu-siū・ヤウ-シュウ)」だと「すごく」「非常に」の意味になります。 台湾語では元々「夭壽」と書き、夭折、短命、くそ!などの悪い意味もあり、縁起が悪いせいか、同音異字で「妖受」と書くことが多いようです。 -
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新竹車站(新竹駅)
新竹車站(新竹駅)では松崎萬長氏が設計し、大正2年(1913年)に完成したバロック様式の駅舎が今でも使われています。台湾に現存する大型駅舎としては最古のものです。 古代ギリシャ建築のように上下が細めで中心部が太目の円柱状の柱、丸い窓など、見事な建築です。内部も含めてしっかり残っています。 大きな地図で表示 -
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第一外科診所(旧管野外科醫院)
写真だけだとよく分からないかもしれませんが、この病院は元々3階建てだった古い建物の外壁を新しい高層ビルに取り込む形で保存しており、実物は結構目を引く建物です。古い建物は元々「管野外科醫院」といい、日本統治時代の昭和9年(1934年)、管野尚夫医師によって設立された個人病院でした。 その後、色々な経緯を経て方錫玉医師に転売され、「第一外科」の看板が掛けられることになります。「第一」と号したのは台湾医 […] -
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マンゴーかき氷で有名な「冰館」(永康街)が突然の閉店・・・その後
旧ブログで「マンゴーかき氷で有名な「冰館」(永康街)が突然の閉店?」という記事を書きましたが、5月10日の時点では「冰館」が復活する気配は全くありません。店も写真の通り荒れて来ました。 マンゴーかき氷自体はどこにでもあるものなのですが、いざ「冰館」以外の日本人観光客にお勧めできる候補を探すとなると以外に大変で、今のところこれという新定番は私はまだ見つけていません。 また閉店の影響で永康街に来る観光 […]